少女時代の自意識の余剰で生きてるんです私は

美しいものや楽しいもののなかで死んでいけたら上出来だ。

肯定を他人に求めようとするから苦しむ。
輪の中でないと生きられない。現実的に。
たまに、周りの人間がどうしようもなく白痴に見えて、
ああ、でも、私だってこの白痴の一部なんだって理解するのは、
自傷しているようなものだと思う。
けれど、その傷跡はすぐに自己憐憫の餌になるから、
私はやっぱり、生きるのに向いている。
傲慢さ
浅はかさ
強欲さ
結局そういうことだ。

不安じゃないと不安だなんていうくせに神経症にはならないのは、
私が生きるのに向いているからだ。
生きる才能を台無しにできるくらい、死にたいと思うけれど。

結局他人の気持ちなんてわかりっこないんだって現実だけが
「あなたに共感するわ」なんていう善良さを殺す。
生きる気力が湧く。
呪詛が世界にあふれて仕方なくなったら、
太陽が昇って朝になる。
爽やかな朝に、死にたみが自殺する。
茹ですぎのほうれん草を食べた時みたいな気持ちです。
わからないだろうけれど。

特別たり得ない私は、今日も個性が死ぬのを傍観する。
ごめんなさい。
私は毎晩、少女時代の墓の前で懺悔する。
幸せな世界で幸せな気持ちで生きることが難しい、
厄介な自意識が死んでいる。